風水ライフデザインスクールでは「志=マインドの大切さ」「学ぶことの大切さ」を様々な切り口でご紹介しています。今日は吉田松陰です。

ご存知でしょうか、29歳で散ったことを

吉田松陰、幕末好きな方(はーい、校長の松岡は幕末好きです。田舎が高知でもちろん坂本龍馬好き!)には馴染みの深い、長州松下村塾の吉田松陰ですね。名語録がたくさんあります。彼自身もなかなかの行動派で、密航しようとロシア船に乗り込もうとしたり、アメリカ船に乗船したり(結局渡航は拒否されて投獄されちゃいます)と過激な倒幕思想の武士の面も残してはいますが、思想家、教育家として明治維新はもちろん明治以降の日本の礎になる若者を直接的にも間接的にも多く指導しました。

9歳で師範に就任し、11歳では藩主に御前講義をするなど早熟の天才ですが30歳になる前に斬首刑で散っています。教育者としてのキャリアは20年、それで今尚語り継がれる生き様、名語録には教育に関するものが多く今回は少しご紹介しますね。

ちなみに松陰の肖像画、みんな結構な歳に見えますが、29歳で亡くなってますからね。老成感のある語録も多いですが、その内面は若者であったことも思いを馳せて欲しいです。若者らしい熱情溢れた行動も実は松陰の特徴でもありますからね。

山口県文書館蔵 ウィキペディアより

吉田松陰語録(松陰神社サイトより)

夫(そ)れ志の在る所、気も亦(また)従ふ。志気の在る所、遠くして至るべからざるなく、難くして為すべからざるものなし。

 志があれば気持ちもそれに従うものだ。志があって気持ちも前向きでやる気に満ちていれば、どんなに遠くとも目標に達することができるし、難しいからといってできないことなどありはしない!

ちなみにこれもたった17歳で学友に贈った言葉です。


志(こころざし)を立てて以て万事の源と為(な)す。

志を持つことから全てが始まる。マインドが全てですよね。


人賢愚(けんぐ)ありと雖(いえど)も、

各々(おのおの)一、二の才能なきはなし、

湊合(そうごう)して大成する時は必ず全備する所あらん。


是れ亦年来(ねんらい)人を閲(えっ)して実験する所なり。


人物を棄遺(きい)せざるの要術、是れより外(ほか)復(ま)たあることなし。

人間には頭の良し悪しがあろうとも、一つや二つは素晴らしい才能を持ってるもの。全力を傾けて心を込めてその特性を育てれば必ずその人らしい一人前の人間になることができる。今までたくさんの人と接してきて、これこそが人を大切にする秘訣だと知りましたよ。

ちなみにこれ投獄された牢屋で勉強会始めちゃうんですよ、この吉田松陰。すごいなと思います。囚人たちにも学びをってことですね。そして囚人たちが学び、牢屋を幸福な場所にするための提案書を書いちゃうんです、吉田松陰。その中の一文だそうです。どこでも学びを!


どうしても漢文調の響きが現代語訳にするとフニャっとした感じになるのが残念ですが、意味がわからないとしょうがないということで共感できる文章にしてみたつもりです。

風水ライフデザインスクールでは受講生一人一人のマインド=志に寄り添った教育を行います。オンライン学習でもその点には配慮をしていますが、まず氣質診断を行う、学ぶことが私たち本部の想いの表れなのです。

氣質診断においては志=夢やビジョンを持つことから人生が始まる、そのVITACE哲学をベースにカリキュラムを作成しています。私たちは、志を大切に自分の使命、ミッションに気づくためのツールとして氣質診断を活用しています。だから先に氣質診断を学び、それを活用するために薬膳や中医学、瞑想や共育論などのコースを設定しています。

そして吉田松陰の言葉にあるように、人と人、インストラクターと受講生、在校生同士がお互いを大切に思うためにも、「みんな違ってみんないい」氣質診断の学びを最初に共有し、風水ライフデザインスクールの校風の源としています。単なるテクニックを学ぶ場ではありません。

風水ライフデザインスクールでは、どんなスキル、知識を得ることができるのか=HAVEや何を学ぶか=study=DOも大事ですが、どんな人間になるのか=BE、つまり在り方を大切に教育を行なっています。単なるオンラインスクールではなく、人生を変えるオンラインスクールなのです。

ちょっと気になったので吉田松陰を氣質診断!

生年月日は1830年9月20日 庚寅年乙酉月己丑日で畑ちゃんでした。いい教育者にはなりますね、土の人は。特に畑ちゃんの尽くす愛が門下生に響いたのでしょうね。幼名の寅之助は生年からでしょうね。 木2火0土2金2水0、ま、水がゼロはわかりますが火が0が意外、おそらく土が火のところを補っていたんでしょうね。塾長としては陰のリーダーシップのいいところが出ています。個人的な行動としては金の我が道を行く感じで「いきなり渡航計画」とかになるんでしょうね。この氣質からもう一度彼の人生を紐解いてみようと思っています。五行、このバランスが整っていたら、もう少し長く生きて明治以降も活躍したんだろうなと少し残念に感じました。

金の年に生まれているので次世代の育成や繁栄が吉田松陰の人生のテーマでした。彼自身は、子供を残すことはありませんでしたがしっかり吉田松陰の志は没後160年経った今も根付いていますね。

ちなみに亡くなった日は西暦で1859年11月21日、己未年乙亥月癸亥日。癸亥って帝旺の強い日になくなりました。きっと生まれ変わって今もなお山口県あたりにいてそう。木1火0土2金0水3、生涯通じて火の星が出てこないのはこの方恋愛方面はちょっと疎かったようなのでそれもあるのかなと。自分の年に亡くなっているので(土の人が土の年に)志半ばだったのできっと生まれ変わってこの続きをやるぞという意思でもあるように感じました。

氣質診断では亡くなった日も考察します。亡くなった日からはその人の魂のメッセージが読み解けるようで、遺された方の癒しに繋がります。